びわ湖毎日マラソンの振り返り

最後のびわ湖毎日マラソンは好天でした。風も落ち着いており、記録も十分に期待できるコンディション。参加者の人数制限は行ったもののおそらく過去最多の参加者数です。

その影響か、スタート直後にいきなり集団の中で転倒が発生し、5名くらいは巻き込まれていました。その100M後に再び、転倒が発生するなど、走力レベルが近いランバーが揃っているということを感じました。

私は常に最後尾を走っており、最後に競技場を出ていきましたが、それでも1kmの通過タイムは予定通りです。仲間と相談していたわけではないのですが、1km付近で合流して、そこから二人旅が始まりました。(最後尾の二人です)

15km関門(52分00秒)に丁度となる、3.28/kmのペースで刻んでいきます。5kmの通過は、17分20秒とぴったりの通過でした。やや向かい風を感じるので、横並びはやめて、私がまずは前を引くことにしました。10kmまでの5kmも17分13秒と安定し、ここで7秒余裕が生まれました。


このまま調子良くと思っていたのですが、12kmで右足のふくらはぎに痛みが出て、攣るような感じになってしまいました。先頭を代わってもらい、ピッチを変えるなどしながら収まることを待ちましたが、一向に回復せず。14km地点では立ち止まりそうになりましたが、余裕は10秒ほどしかなく、立ち止まったら15kmで終了です。

これ以上何もできないので、ただ祈りながら、15km関門を遠くに見ながら進み、関門に間に合いそうになった時はただ嬉しかったです。

◇ 今年の集団は例年と違う

15kmを51分48秒で通過しましたが、今年関門までにやめた選手は3名のみ。いままではもっと関門前後にランナーがいましたが、とにかく集まった選手のレベルが高いことを感じます。15kmを過ぎ、やや風があるものの協力できるランナーはおらず、引き続き、仲間が引いてくれます。

この頃には、もう記録は狙える脚の状態ではなく、完走できるかどうかでした。20km、25km、30km、35km、40kmの関門のタイムが頭を埋め尽くします。20kmを1時間9分26秒(関門34秒前)で通過し、ハーフは1時間13分20秒。ここで仲間にについていけなくなり、単独走が始まります。

ここからは、タイムの計算をし続けます。脚をかばっていたためバランスが崩れていて、30kmからは色々なところが痛くなり、脚も大腿部やふくらはぎ、内転筋など様々な所が攣り始めます。そのたびにピッチに変えたり、腕振りでペースをカバーしたり、給水もこまめにとりながら、立ち止まらないようにと思い、進みます。

前方には全くといって良いほどにランナーはいません。過去何度か失速はしていますが、このようなびわ湖毎日マラソンの景色は初めてです。それでも変わらなかったのが、沿道の応援でした。応援自粛ではありましたが、拍手などで静かに温かく支えてくれることは変わりません。これだけ遅れた選手のことも待っていてくれますので、何としてでも40kmの関門を通過したいと思いました。

◇ 40km関門は2時間30分00秒

25km関門を30秒前に通過し、30km関門は少し緩くなるため1分14秒前に通過。しかし、次の5kmに21分45秒を要して、35km関門は29秒前の通過となりました。

次の40km関門まで21分29秒しかありません。ペースアップが求められます。脚さえ攣らなければ何とかなると思い、とにかく腕のエネルギーを推進力に使います。

4分15秒、4分16秒とややペースを持ち直して、2時間17分で37kmを通過。3kmを13分。1kmを4分20秒のペースです。つぎの1kmも4分18秒で粘りましたが、38~39kmの区間で脚のつりが酷くなり、残り1kmで4分10秒です。

完全につってしまい、そのまま走りますが、ペースは上げられません。攣りさえなければまだ間に合うと思い、一度ここで遂に止まり、伸ばすことを試みましたが、回復せず。そのまま再び走り始めましたが、関門に30秒及ばずでした。

◇ 力は出し切れた

足の痛みが出てしまったことは残念でしたが、その瞬間、瞬間で自分ができることはやり切ることができたと思います。もっと準備をして臨みたかったというのが正直な気持ちです。

トレーニングを振り返ってみて、もう少しあの日のポイントトレーニングを抑えておけば良かった、もう少しあの日にジョギングをしていれば良かったと思います。

それもまた次へのエネルギーにして、頑張りたいと思います。これからも、皆さんと一緒に頑張ります!


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